御嶽神社(おんたけじんじゃ)神社由緒より
御嶽神社の創祀は、嶺村(現嶺町地区)ができた天文4年(1535年)頃と謂われる。当時は小社であり祠に近いものであったと推察されるが、後の天保年間(江戸時代後期)に木曾御嶽山で修業をされた一山行者が来社して以来信者が激増し、天保2年(1831年)に現在の大きな社殿を建立し御霊を遷座した。信者の中には江戸の豪商なども多くあり、かなりの寄進がされたようである。関東一円から木曾御嶽山を信仰する信者たちが多数訪れ、その勢いは江戸、明治、大正、昭和へと続く。「嶺の御嶽神社に三度参拝すれば、木曾御嶽山へ一回行ったのと同じ」と言われていたようだ。第二次大戦後は、木曾御嶽山の信者数全体が減少傾向にあるが、現在でも猶、講社が団体で定期的に参拝に来ている。一方、六地区の氏子地域を持ち奉賛会も組織されていることから、地元氏子にも大きく支えられ祭礼も年々盛大になっている。また、20年に一度、本山へ神輿を運んで担ぐ式年祭も執行されている(平成23年8月が第二回目)。神社境内地奥には「霊神の杜」と名付けられた鎮守の森があり、霊神碑と共に神域になっている。森の植樹には横浜国立大学名誉教授宮脇昭先生が監修された。中央に鎮座する本殿は大田区の文化財であり、殊に壁面の彫刻は圧巻。また、樹齢四百年の黒松が「夫婦松」として崇敬を集めている。その他様々な名所が境内地に点在し、商店街の中とは思えない静謐な空間を作り出している。
【祭神】
【祭事】
【紀行説明】
東急線の御嶽山駅から徒歩五分程度、商店街に崎の住宅街環八からすぐの所にある御嶽神社(おんたけじんじゃ)がある。おんたけじんじゃとは木曽御嶽神社の御嶽(みたけと呼ぶ御嶽神社は武蔵御嶽神社関係になる)でとても歴史をかんじる社だ。入口の大きな御嶽神社の碑を右に入ると奥に本殿が見える。東京都内の御嶽講、御嶽信仰(おおんたけ、みたけ)の残る場所は少ないが、ここは木曽御嶽山の信仰が残る御嶽神社だ。ここは江戸時代は「嶺村」と呼ばれたらしいが本殿の裏には御嶽山信仰の教祖、渡辺菊太郎の銅像もあり信仰の雰囲気は抜群だ。
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