御嶽神社
日本武尊は、様々な苦難を乗り越えて東国を平定し日本建国の礎となった英雄であります。小野の地(現在の厚木)の戦いで火攻めに遭いましたが、草薙の剣で防いだことから「日防の神として信仰されています。手置帆負尊は天照大神が天の岩戸にお隠れになられた時に彦狭知尊とともに天御霊(あまつみはかり)を持って御殿を造営しました。天児屋命(あめりこやねのみこと)らが祈りを捧げ天鈿女命(あめのうずめのみこと)が舞を奉じたところ天照大神は言わど岩戸を出られ御殿に入られました。このことから彦狭知尊、手置帆負尊の両尊を林業、製造の神とされました。(日本書紀)
鎮守の神様
御嶽神社は「おみたけさん」呼ばれ大磯町東小磯の鎮守の神様で地域住民の平和と安全を期ご守護されています。
新編相模國風土記によると、「東小磯の鎮守なりから第三機を置「例祭9月9日妙昌寺持ち」と書かれております。神社の前の道は旧鎌倉街道と言われこの街道筋(小字小屋敷字城ケ谷)などに住んでいた人々は江戸幕府開府1603年間まもなく東海道筋に移住され宿場を作りました。
宝物・石碑
神社本殿の内陣正面にはご神殿(妙昌寺奉納)があります。その中にある御厨子の中に木造の御神像高さ14 CM と御神器の御鏡が奉納されています。またご神殿の手前に置か髪高さ45cm藤原光長永作、呪術、儀式儀礼に用いられたが置かれています。二の鳥居をくぐり急な石段を登ると左右に石燈篭が奉納されております。安政9年代1850年頃のもので大磯南組の篭中が繁昌していた頃に奉納されたものです。境内には稲荷社が祀られており昔この付近に住んでいた国吉家の屋敷神様と伝えられています。祭礼例年9月9日前後の日曜日 神奈川県中郡大磯町東小磯臺町町内有志一同。
【御祭神】
日本武尊
彦狭知尊
手置帆負尊
【祭事】
例大祭9/9前後の日曜日
【紀行説明】
JR大磯駅からは徒歩10分程、小高い海の見える住宅街の一角にある。地元では「おみたけさん」と呼ばれ親しまれている。境内(拝殿等)は修復中だが参拝は可能。本殿左脇にある稲荷社には四体のお稲荷様(狐様)があるが、よく見ると石碑のレリーフの様なものがある。この御嶽神社の御神体は不明との事だが、これは日本武尊ではないか?
跨っている様に描かれているのは狐様にも見えるが、お犬様(狼)ではないようだ(➡確認したところどうやら豊川稲荷の御本尊の白狐の様だ))御神体は非公開だが、「御鏡」と「軍配」もあることから、日本武尊ではないかと思う。(東京都の御嶽神社の関係には、やはり鏡と軍配があった)案内図にあるように往時はかなりの規模だったようだ。旧鎌倉街道に面していて後に東海道も整備されたことから参拝者も多いのだろう記録が多く残る神社である。拝殿前は一般的な狛犬像になっていて、狼像は現在は無いが以前はあったのかもしれない。御嶽神社の講中は不明だが、武蔵御嶽神社への参拝はなされていたのであろう。現在の講中・講社の関係は不明。
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