関東南部
(いたばし・さくらがわみたけじんじゃ)
板橋・桜川御嶽神社[首都狼]
~首都狼・文化財指定江戸嘉永7年の像が残り、新旧7体の像がある御嶽神社~
由緒・
由来
【紀行説明】
板橋・桜川御嶽神社(さくらがわみたけじんじゃ)
御由緒:創建年代は不詳。 東京都板橋区桜川に鎮座する神社。旧社格は無格社で、旧上板橋村の栗原・七軒屋の鎮守。武州御獄山(一説には甲州)の分霊を勧請し創建したと伝わる神社。境内の狛犬は狼型となっているのが特徴的。これは御獄山など山岳信仰の神使が日本狼とされる事によるもの。1456(康正2)年、太田道灌(扇谷上杉氏家宰)による江戸城築城の際、千代田村・宝田村・祝田村はその用地となった。 居住していた宝田姓を名乗る一族は上板橋村栗原に移され、祀っていた稲荷神社(宝田稲荷神社)を石神井川を見下ろせる小高い丘の上(現・城北中央公園内)に遷座させたという。康正2年(1456)に太田道灌が千代田村に江戸城を築くにあたって、当地の先住人を各地に移転させたが、その中に宝田姓を名乗る一族は上板橋村栗原に移り住んだ。この時彼らが祭っていた稲荷神社を石神井川を見下ろす小高い丘の上(現、城北中央公園)に遷座させたという。この稲荷社は宝田家の神社であったため、栗原七軒屋の人々が武州(一説に甲州)から勧請して祀ったのが当社のはじまりであるといわれている。(頒布の用紙より)上板橋村の栗原・七軒屋に住む人々は近くに地域の鎮守を求めた。宝田家の移住と共に遷ってきた「稲荷神社」は、宝田家の私的な神社であった事から、誰でも参拝できる地域の鎮守を創建する事にして当社を創建したと云う。栗原・七軒屋の人々によって、武州御獄山(一説には甲州)の分霊を勧請して「御嶽神社」として創建された。
御祭神 :金山彦命・金山姫命・倭健命
例大祭: 9月11日及び12日
御朱印
桜川御嶽神社の御朱印は
狼像が入った
もので、
ときわ台天祖神社
で頂ける。
狼像(首都狼)
江戸時代後期の嘉永7年(1857年)の狼の石像が文化財とし保護、大切に保管されている。昭和の奉納の石像も新旧4体で対の像があり、付近では最も狼像が多く鎮座している場所だ。管理はときわ台天祖神社になり、拝殿も普段は開いていないが管理が行き届いていて狼像も綺麗に守られている。年末年始などは多くの参拝客で賑わうが普段は静かにお参りでき狼像も見やすい位置に鎮座している。
[板橋・桜川御嶽神社]
[狼像]① 入口の鳥居(昭和35年奉納)
[右側の狼像]
[左側の狼像]
[狼像]② 本殿の鳥居(昭和61年奉納)
[右側の狼像]
[左側の狼像]
[狼像]③本殿の右側 旧狼像・(江戸時代後期1857年嘉永7年奉納)文化財指定
[狼像]③ 鳥居左側の一体・破損した狼像(元は対の像と思われる)
[板橋・桜川御嶽神社]
[板橋・桜川御嶽神社]
日本狼の棲館 [ニホンオオカミのやかた]~彼らはこの嶺々の何処かに棲んでいる~ | Facebook
地図
■
巡礼紀行伝 DATA
[板橋・桜川御嶽神社]
(いたばし・さくらがわみたけじんじゃ)
名称
桜川御嶽神社(さくらがわみたけじんじゃ)
住所
〒174-0075 東京都板橋区桜川1丁目4−6
公式HP
管理先兼務社➡・常盤台天祖神社公式HP
地図
地図
(Google MAP)
SV
(STREETVIEW)
ルート
ルートマップ➡
首都高板橋本町から車20分ほど
、駐車場無
公共機関、
東武東上線上板橋駅南口より徒歩15分ほど
駐車場
無し
狼の御札(護符)
授与未確認(無し)
見所
・
本殿・旧社(旧狼像)・稲荷社
・狼像7体[旧狼像二体]・[新旧狼像四体]・[首折れの狼像一体]
①入口の鳥居(昭和35年) ②本殿の鳥居(昭和61年) ③本殿の右側(江戸後期1857年嘉永7年) 奉納と伝わる狼像阿吽の像一対、二体保管 ④破損している狼像一体
その他
日本狼の棲館HP
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